鉃鋼ビルディンググループとして初めて本格的な海外進出を目指したハイズオンガーデン・プロジェクト。
2012年7月の起工式を終え、ハイズオンガーデンの新築工事が開始されました。
今回は当時、増岡組ハイズオンガーデン建設プロジェクト社長を務めたグループ会社ADOプランニングの渡邉義洋さんにインタビューしました(1回目、2回目、3回目、4回目の記事を読む。)。
渡邉義洋
株式会社ADOプランニング 技術部部長
(当時:増岡組ハイズオンガーデン建設プロジェクト社長)
ハイズオン省内市街地初の建設プロジェクト会社設立申請
増岡組がベトナム国内で元請施工を行うためには、現地建設業者の登録許可を得なければなりませんでした。
ベトナム国内の経済発展に伴い、工業団地開発における工場建設などでは各工業団地管理会社のサポートもあり、手続きの手法も確立されていましたが、当時ハイズオン省内の市街地で外国企業による現地建設会社の登録申請手続きは初めてのことでした。そのため、申請書類や手順も担当する行政官によって違うこともあり、私たちと行政の双方にとり煩雑な作業が続きました。
一方で、設計業務は基本設計から実施設計に移り、工事費用の見積もりも概算から詳細なものへ精度を高めていく作業に取り掛かります。しかし、現地の協力会社から提出された見積書の項目には大まかな箇所が多く、この精度を上げるため、日本の工事で使用する項目と照らし合わせながら設備工事ごとに仕訳を行い、日系の専門工事会社を含めた見積もり合わせを経て工事全体の価格査定を行いました。
このように手さぐり状態の中で作業を進めていた感じがありましたが、現地建設業者としての登録を終え、工事費も予算内に落ち着き、いよいよハイズオンガーデン新築工事に着手しました。
紅河デルタ地帯、軟弱地盤での工事
ハイズオンガーデン建設地は、紅河(ホン川)を中心とした巨大な紅河デルタ地帯と呼ばれる地域の中にあります。軟弱な地盤が広がっていて、工事に当たって地盤の隆起や沈下等近隣への影響が心配されていました。
この土地の地盤の支持層は深い位置にあったため、杭工事では多くの杭を打設する設計になっていました。この工事は騒音と振動を抑えて行う圧入工法という方法で杭を打設しましたが、軟弱な地盤であるために周囲への影響が心配され、通常より緊張しながら近隣の状況を観測していたことを思い出します。
また、杭工事着手後に大雨に見舞われたときは、周辺の道路が冠水し工事現場に大きな水たまりが出来ました。日本の工事本部と相談し検討した結果、グラウンドレベルの設定を30cm高く調整することとしました。土地の高低差が少なく排水インフラが未整備な地域であったことに起因する洪水でしたが、この嵩上げの調整により現在周辺が冠水してもハイズオンガーデンは安全が保たれています。
当時、現地で採用した建設作業員の人たちは、現在の工事の専門・分業制と異なり、一つの工事を専門とする職人たちではありませんでした。
日本で行う工事とは異なり、技術水準などの建物建設に携わる各社が共通の認識をもって作成する工事標準仕様書などがないことや、ベトナムでは人件費が材料費や運搬揚重費をよりも安価であるため、工事費を抑えるために人海戦術で工事を行う方法が採用されるなど、現地で試行錯誤しながら施工方法を決めて工事を進めることもありました。
また、慣れない土地で作業員も日本人とは異なる状況でしたので、現地で私たちは日本で行う工事と同様にヘルメットと安全靴の着用を義務付け、より一層の安全管理を徹底して行いました。
難しい工事、素晴らしい人間関係
当時のハイズオン市で高層の建物といえば、約1㎞離れた26階建てのナムクオンホテル(Nam Cuong Hotel Hai Duong)しかなく、この地域で建築中のこの8階建ての建物は随分目立っていました。
また、計画途中で建物工事が停止している建物も多くある中で、ハイズオンガーデンの建物の躯体(くたい)が計画通り建ち上がっていく様子を見学したハイズオン市長から「さすが日本の企業の仕事だね」と声を掛けられたことを思い出します。
建物の仕上げ工事に当たって、材料は現地調達を前提としていましたが、タイル等の建材が十分に入手できず、ハノイの建材屋を回り、さらに変更工事の打ち合わせを重ねることもありました。また、現地で発注した建具や家具などの製作物についても作業の遅れや図面と違ったものが納品されるといった問題がありました。
手慣れた日本の工事現場を離れて、初心に戻って細心の注意を払いながら現実と対峙(たいじ)していく張り詰めた毎日を経験しましたが、工事監理としてベトナムに出張してきてくれた増岡組設計部の水永徹馬部長(当時)や建築部設備課の澤田誠二課長(当時)、現地グループ会社ADO社の東政人社長(当時)に支えられました。
また、専門工事会社の現地スタッフの皆さんは現在の日本ではあまり見られなくなった現場寄宿舎で生活していましたが、時折会食に誘っていただき、ベトナムの習慣や人間関係などたくさん教えていただいたことや、心を開き家族のように接してくださった工事関係の皆さんのことが思い出深く、工事を進める上で人間関係の大切さについて再認識できたことに感謝しています。
こうして工事は進み、2013年9月、ついに建物竣工引き渡しの日を迎えました。
日越が協力して成し遂げた建築工事
2013年10月31日に行われたオープニングセレモニーでは、工事のバックアップをしていただいた増岡組ハノイ駐在員事務所の山口康司所長(当時)が司会を務め、在ベトナム日本大使にも出席していただきました。ハイズオン省やハイズオン市の関係者、地域の方々も多数出席し、にぎやかなセレモニーが行われました。
その日の朝に近所の食堂で食べたフォー・ボー(牛肉入りのフォー)の味を今でも思い出します。
次回は現地運営スタッフの採用・研修からサービスアパートメント開業までをお話しいたします。