人が活躍する場所を創り続ける
呉阪急ホテル・プロジェクト

株式会社鉃鋼ビルディングのホテル事業として経営している「呉阪急ホテル」は、私たちの会社の前身である「増岡商店」発祥の地、広島県呉市において1992年6月に事業を開始し、呉を訪れる方々をお迎えする施設として、また地域の皆様の生活のさまざまな場面を彩る施設として成長を続けています。

             

フルサービス型ホテル、コロナ禍の挑戦

当社の経営理念のメッセージである「人が活躍する場所の環境価値を創造する」という思いを大切にしています。この理念は、私たちのホテル事業である「呉阪急ホテル」の経営にも反映され、脱炭素社会を見据えた対応や資源の有効活用など、時代のニーズに対応しながら、常にハード・ソフトの両面から環境の改善に取り組み、地域の皆様に信頼される存在であり続けることを目指しています。前回の「呉阪急ホテル開発ヒストリー」でご説明させていただいた1992年の呉阪急ホテル開業以来、設備・機器の更新、内装のリニューアルを時代の要請を受けて実施してまいりました。今回は、呉阪急ホテルの新型コロナウイルスへの対応とコロナ禍に実施した大小10ある宴会場のリニューアル工事と現況について、ホテル事業部の増岡英一さんに伺いました。


増岡英一
株式会社鉃鋼ビルディング  取締役 ホテル事業部担当


日本を襲った新型コロナウイルス

2020年1月、日本は新型コロナウイルスの脅威に直面しました。これ以降、感染拡大に伴い、マスクの着用やソーシャルディスタンスの確保など、私たちの生活が一変したことは皆さんの記憶の中でもまだ新しい出来事だと思います。外出の自粛をはじめ、医療現場の逼迫(ひっぱく)など、社会全体が大きな試練に直面しました。経済的には、多くの企業が業績悪化や倒産に直面し、特に観光業や飲食業は深刻な打撃を受けました。


コロナ禍が消した人と人の交流

呉阪急ホテルも、新型コロナウイルスの影響により、観光とビジネスの両面において、厳しい状況に直面しました。全国的にたび重なる緊急事態宣言の発令やその期間の延長、また、まん延防止等重点措置期間や広島県独自の感染拡大防止集中対策期間が設けられ、イベントの自粛、県をまたいだ他地域への移動自粛が行われました。

呉阪急ホテルではさまざまな感染症予防対策を施し、皆様をお迎えしました

呉阪急ホテルは、宿泊のみならず、レストランや宴会場も数多く備えるフルサービス型のホテルです。コロナ禍においてはこの全てのサービスにおいて大きな影響を受けました。移動の自粛による宿泊予約のキャンセルや、時短営業を余儀なくされたレストラン営業など困難が続きました。特に宴会場の運営には大変苦労しました。

コロナ禍前には、婚礼に伴う披露宴、歓送迎会や懇親会などの地元企業様の社内イベント、株主総会やセミナーなどの会議場としてご利用いただいておりましたが、ウイルス感染防止の観点から、大人数を一同に集めるイベント・宴会の開催が自粛され、婚礼や企業イベントが次々とキャンセルとなり、宴会場の利用が大きく減少し、苦しい状況が続きました。


未来を見据えた「皇城の間」リニューアル

このような厳しい環境ではありましたが、コロナ禍が収束することを信じ、未来を見据え、呉阪急ホテルにご来館してくださる方々に喜んでいただくことを第一に考えました。その結果、人々の活動が新型コロナウイルスから解放され、多くのお客様が戻って来られた時に、呉阪急ホテルのシンボルにもなっている4階の大宴会場「皇城(おうじょう)の間」を一新してご利用いただくことが、お客様にとってご満足いただけるのではないだろうかと考え、リニューアルを決めました。

皇城(おうじょう)の間

新型コロナウイルス感染症が第五類感染症に移行することが視野に入った2022年3月、ホテル4階の大宴会場「皇城の間」をリニューアルオープンしました。

「皇城」という名前は、その豪華さと格式を表現し、会場の優雅さとスケールを強調し、結婚式の披露宴会場など特別なイベントにふさわしい場所として、これまでも多くのお客様にご利用いただいていました。

このリニューアルでは、「皇城」の名にふさわしい設え(しつらえ)とするように、呉が誇る瀬戸内の多島美の一つである「蒲刈の渚」をデザインコンセプトに採用しました。「蒲刈の渚」は広島県呉市にある上蒲刈島の「県民の浜」「恋ヶ浜」の穏やかな波が打ち寄せ、太陽が降り注ぐ砂浜です。この美しい砂浜をイメージしたカーペット、クラシカルでエレガントなダマスク織物柄の壁クロスとしました。

皇城の間は会議場としても利用可能

また、LED照明の導入により、高さ6メートルの天井から吊るされたシャンデリアが一段と輝き、省エネで明るい空間となりました。会議やセミナー、結婚披露宴をはじめとする宴会やパーティー、展示会など多目的にご利用が可能で、最大で正餐形式で310人、シアター形式で630人の収容が可能となっています。

安芸の間

この大宴会場「皇城の間」のリニューアルにあわせて、木目が美しいフローリング床が施されたホテル3階の「安芸の間」をはじめ、その他の宴会場においてもLED照明の設置、壁紙・絨毯などを新調いたしました。このほか、少人数の会議、会食、結納のお顔合わせにご利用いただいている5階「麗女(うるめ)の間」、「桜の間」などを含め大小10ある宴会場は、コロナ禍によって急速に普及したリモートワークを支えるWebミーティングに対応する設備を整えました。

麗女(うるめ)の間

桜の間


フルサービス型ホテルの挑戦

賑わいを取り戻したディナーショーの会場となった皇城の間

大宴会場「皇城の間」がリニューアルされた後も、しばらくは宴席でのご利用を控える方が多く、回復が遅れていました。そのような中で、地域経済の灯を絶やしてはならないと考え、リニューアルされた「皇城の間」を活かして、地域の特産品の展示販売会の開催とあわせたお食事イベントやディナーショーなどをホテル主催で企画、ソーシャルディスタンスを確保したレイアウトであることを周知し、集客に努めました。

呉阪急ホテルでは「護衛艦うみぎり」「潜水艦いそしお」の2種類の呉海自カレーを提供

お食事イベントとして実施したバイキングでは、以前より人気の高いステーキ・寿司・蟹などの食材を食べ放題とし、多くのお客様にご来場いただきました。また、「呉海自カレー」イベントでは、海上自衛隊の艦船内で食べられているカレーライスのレシピを忠実に再現した「呉海自カレーの食べくらべ」ができるようにし、呉を元気に盛り上げるようなイベントとして、地域の皆様に大変喜ばれました。

また、ディナーショーでは、呉市出身の実力派演歌歌手の方に出演を依頼し、ご来場された多くのお客様に、大変ご好評をいただきました。イベントでお越しになったお客様がご宿泊とあわせてホテルをご利用いただく機会が増えるなど、相乗効果も生まれました。これらのイベントは現在も定期的に開催しており、地域やご宿泊の皆様に親しまれています。

呉阪急ホテルは、大宴会場「皇城の間」のリニューアル、そして利用者の皆様に向けたイベントの開発と実施など、改善・向上を続けています。今回ご紹介したリニューアル工事を終えた宴会場では、宴会、会議やセミナー等、各種イベントでのご利用のご予約を承っております。ぜひ、呉阪急ホテルの宴会場をご利用ください。


呉阪急ホテル ウェブサイト
https://www.hankyu-hotel.com/hotel/hh/kurehhf

 

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呉阪急ホテル開発ヒストリー

株式会社鉃鋼ビルディングのホテル事業として運営している「呉阪急ホテル」は、私たちの会社の前身である「増岡商店」発祥の地、広島県呉市において1992年6月に事業を開始し、呉を訪れる方々をお迎えする施設として、また地域の皆様の生活の様々な場面を彩る施設として成長を続けています。
今回は当事業について、ホテル事業部の増岡英一さんにお話を伺いました。


増岡英一
株式会社鉃鋼ビルディング  取締役 ホテル事業部担当


旧呉商工会議所ビルの中で誕生した「呉阪急ホテル」

呉阪急ホテルのあった旧呉商工会議所ビル

呉市は、1886年に第二海軍鎮守府の設置が決定し、1889年の開庁以来、海軍の街として栄え、戦後もその技術を生かした造船を中心とした工業の街として発展してきました。その呉市での「呉阪急ホテル」の歴史は1969年に当時の呉商工会議所ビル内でオープンしたときまで遡ります。


オープンを告知する当時のパンフレットの表紙

当時の呉市は産業の発展と共に国内外から来訪される方々が増えており、地元ではこの接遇に適したホテルへのニーズが高まっていました。その声を受け、阪急ホテルグループが呉市でのホテル事業を計画し、当時の呉商工会議所ビルの1階と7~8階部分に、34室の客室に加えてレストラン及び80名収容の宴会場を併設したホテルとして開業しました。

記録を見ると、1972年には月平均1,000人の宿泊客のほか、年間130組の結婚式を引き受けており、観光やビジネス、地域の人々が集う場所としての役割を担ってきました。しかしながら、時代と共に呉市内でも都市型のホテルや結婚式場の建設が相次ぎ、「呉阪急ホテル」はその施設やサービスに関して新たなニーズに応えることが迫られていました。


「呉駅前を新たな賑わい空間に」株式会社鉃鋼ビルディングも参画

呉市は、1888年、増岡久吉が「増岡商店」を創設し、鉃鋼ビルディンググループ発展の基礎を築いた発祥の地です。

当初は現在の呉市の海岸通に事務所を構えていましたが、増岡商店二代目の社長である増岡登作によって機械器具の販売や建設、砂利採取などの事業に進出し、組織が大きくなっていく時代に拠点を現在のJR呉駅前周辺に移していました。


現在の呉駅前の「呉阪急ホテル」の土地には、増岡家の自宅とグループ会社の増岡組の資材置き場があり、敷地内の呉駅に面した部分にはRC造2階建てのビルが建設され、レストランなどの商業店舗のほか同じくグループ会社の中国物産と増岡商事の事務所が入居していました。

1981年の7月に撮影された呉駅前の様子(資料提供:呉市文化スポーツ部文化振興課)

この呉駅前地域では1979年に策定された呉市の「西地区市街地開発基本構想」に則り、1981年に呉駅ビル再開発事業が行われ、1989年には駅に隣接する土地で、呉市における最初の本格的なデパート「呉そごう」が開店するなど、徐々に呉市の顔とも言うべき場所としての賑わいが生まれました。

また、この時期、呉市で観光産業の振興と雇用機会の増大を図ることを目的とした「呉ホテル等設置奨励条例」が制定されたこともあり、わが社ではこの地域の発展に貢献するため旧商工会議所ビルから当該地に「呉阪急ホテル」を誘致し、時代にあった新たな施設やサービスを有したホテルとして再スタートすることを目的として、阪急ホテルと共同で「呉駅前ホテル計画」を立案しました。


グループの力を結集した再開発事業

オープン当時のパンフレットページ

この「呉駅前ホテル計画」は、呉市のゲストルームの役割を担うコミュニティープラザとしてここで時間を過ごすことが素晴らしいと思われるホテルであることをコンセプトに、都市のランドマークたり得る地域一番の都市型ホテルとすること、駅前立地を生かした宴会重視型のホテルとすること、宝塚歌劇に代表される阪急のイメージを訴求して社会で活躍する女性やエグゼクティブに気持ちよく活用して頂くことを目指して進められました。

当再開発事業では前に述べた会社所有の土地2,893.84㎡を利用して設計を推進し、建設は増岡組が担当。私たちグループの力を結集した事業になりました。

約2年の工期を経て出来上がった新しいホテルは、SRC造、地上14階、地下2階、18,563.56㎡の建物で、8タイプ70室の客室に最大600名収容可能な「皇城」をはじめ8つの大小宴会場、2つの結婚式場やフィットネスクラブ、6か所のカフェやレストラン、バー、94台収容の駐車場を設け、JR呉線沿線のマーケットを睨む市内随一の都市型ホテルになりました。


進化し続ける「呉阪急ホテル」

こうして出来上がった新しい「呉阪急ホテル」は、1992年6月5日のグランドオープン以来30年を超え、呉を訪れる方々を一番にお迎えする施設として、また地域の皆様の生活の様々な場面を彩る施設として、時代のニーズに対応しながら環境改善を続けています。

現在では呉市の重要な観光資源ともなった「呉市海事歴史科学館」(大和ミュージアム)や旧呉鎮守府司令長官官舎の展示を中心とした「入船山記念館」、「海上自衛隊呉史料館」(てつのくじら館)は徒歩圏内にあり、さらに足を延ばせば海上自衛隊潜水艦基地を間近で見られる「アレイからすこじま」、風光明媚なとびしま海道を行けば、下蒲刈島の「朝鮮通信使史料館」、江戸時代、風待ち潮待ち港として栄え、重要伝統的建造物保存地区として国から選定されている大崎下島の「御手洗地区」にも立ち寄ることが出来ます。

「呉阪急ホテル」は、ビジネスにもこの様な観光の拠点としても、安心快適にご利用して頂けると思っておりますし、そのために様々な施策やプロモーションを実施しています。お気軽に立ち寄って頂ければと思っています。


呉阪急ホテル ウェブサイト
https://www.hankyu-hotel.com/hotel/hh/kurehh

 

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人が活躍する場所を創り続ける

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成長を続けるベトナム。大規模な工業団地を有するハイズオン市でサービスアパートメント「ハイズオンガーデン」を開発し、所有、管理、運営を行っています。

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株式会社鉃鋼ビルディングのホテル事業として経営している「呉阪急ホテル」は、私たちの会社の前身である「増岡商店」発祥の地、広島県呉市において1992年6月に事業を開始し、呉を訪れる方々をお迎えする施設として、また地域の皆様の生活のさまざまな場面を彩る施設として成長を続けています。

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