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呉阪急ホテル・プロジェクト

株式会社鉃鋼ビルディングのホテル事業として運営している「呉阪急ホテル」は、私たちの会社の前身である「増岡商店」発祥の地、広島県呉市において1992年6月に事業を開始し、呉を訪れる方々をお迎えする施設として、また地域の皆様の生活の様々な場面を彩る施設として成長を続けています。

             

呉阪急ホテル開発ヒストリー

株式会社鉃鋼ビルディングのホテル事業として運営している「呉阪急ホテル」は、私たちの会社の前身である「増岡商店」発祥の地、広島県呉市において1992年6月に事業を開始し、呉を訪れる方々をお迎えする施設として、また地域の皆様の生活の様々な場面を彩る施設として成長を続けています。
今回は当事業について、ホテル事業部の増岡英一さんにお話を伺いました。


増岡英一
株式会社鉃鋼ビルディング  取締役 ホテル事業部担当


旧呉商工会議所ビルの中で誕生した「呉阪急ホテル」

呉阪急ホテルのあった旧呉商工会議所ビル

呉市は、1886年に第二海軍鎮守府の設置が決定し、1889年の開庁以来、海軍の街として栄え、戦後もその技術を生かした造船を中心とした工業の街として発展してきました。その呉市での「呉阪急ホテル」の歴史は1969年に当時の呉商工会議所ビル内でオープンしたときまで遡ります。


オープンを告知する当時のパンフレットの表紙

当時の呉市は産業の発展と共に国内外から来訪される方々が増えており、地元ではこの接遇に適したホテルへのニーズが高まっていました。その声を受け、阪急ホテルグループが呉市でのホテル事業を計画し、当時の呉商工会議所ビルの1階と7~8階部分に、34室の客室に加えてレストラン及び80名収容の宴会場を併設したホテルとして開業しました。

記録を見ると、1972年には月平均1,000人の宿泊客のほか、年間130組の結婚式を引き受けており、観光やビジネス、地域の人々が集う場所としての役割を担ってきました。しかしながら、時代と共に呉市内でも都市型のホテルや結婚式場の建設が相次ぎ、「呉阪急ホテル」はその施設やサービスに関して新たなニーズに応えることが迫られていました。


「呉駅前を新たな賑わい空間に」株式会社鉃鋼ビルディングも参画

呉市は、1888年、増岡久吉が「増岡商店」を創設し、鉃鋼ビルディンググループ発展の基礎を築いた発祥の地です。

当初は現在の呉市の海岸通に事務所を構えていましたが、増岡商店二代目の社長である増岡登作によって機械器具の販売や建設、砂利採取などの事業に進出し、組織が大きくなっていく時代に拠点を現在のJR呉駅前周辺に移していました。


現在の呉駅前の「呉阪急ホテル」の土地には、増岡家の自宅とグループ会社の増岡組の資材置き場があり、敷地内の呉駅に面した部分にはRC造2階建てのビルが建設され、レストランなどの商業店舗のほか同じくグループ会社の中国物産と増岡商事の事務所が入居していました。

1981年の7月に撮影された呉駅前の様子(資料提供:呉市文化スポーツ部文化振興課)

この呉駅前地域では1979年に策定された呉市の「西地区市街地開発基本構想」に則り、1981年に呉駅ビル再開発事業が行われ、1989年には駅に隣接する土地で、呉市における最初の本格的なデパート「呉そごう」が開店するなど、徐々に呉市の顔とも言うべき場所としての賑わいが生まれました。

また、この時期、呉市で観光産業の振興と雇用機会の増大を図ることを目的とした「呉ホテル等設置奨励条例」が制定されたこともあり、わが社ではこの地域の発展に貢献するため旧商工会議所ビルから当該地に「呉阪急ホテル」を誘致し、時代にあった新たな施設やサービスを有したホテルとして再スタートすることを目的として、阪急ホテルと共同で「呉駅前ホテル計画」を立案しました。


グループの力を結集した再開発事業

オープン当時のパンフレットページ

この「呉駅前ホテル計画」は、呉市のゲストルームの役割を担うコミュニティープラザとしてここで時間を過ごすことが素晴らしいと思われるホテルであることをコンセプトに、都市のランドマークたり得る地域一番の都市型ホテルとすること、駅前立地を生かした宴会重視型のホテルとすること、宝塚歌劇に代表される阪急のイメージを訴求して社会で活躍する女性やエグゼクティブに気持ちよく活用して頂くことを目指して進められました。

当再開発事業では前に述べた会社所有の土地2,893.84㎡を利用して設計を推進し、建設は増岡組が担当。私たちグループの力を結集した事業になりました。

約2年の工期を経て出来上がった新しいホテルは、SRC造、地上14階、地下2階、18,563.56㎡の建物で、8タイプ70室の客室に最大600名収容可能な「皇城」をはじめ8つの大小宴会場、2つの結婚式場やフィットネスクラブ、6か所のカフェやレストラン、バー、94台収容の駐車場を設け、JR呉線沿線のマーケットを睨む市内随一の都市型ホテルになりました。


進化し続ける「呉阪急ホテル」

こうして出来上がった新しい「呉阪急ホテル」は、1992年6月5日のグランドオープン以来30年を超え、呉を訪れる方々を一番にお迎えする施設として、また地域の皆様の生活の様々な場面を彩る施設として、時代のニーズに対応しながら環境改善を続けています。

現在では呉市の重要な観光資源ともなった「呉市海事歴史科学館」(大和ミュージアム)や旧呉鎮守府司令長官官舎の展示を中心とした「入船山記念館」、「海上自衛隊呉史料館」(てつのくじら館)は徒歩圏内にあり、さらに足を延ばせば海上自衛隊潜水艦基地を間近で見られる「アレイからすこじま」、風光明媚なとびしま海道を行けば、下蒲刈島の「朝鮮通信使史料館」、江戸時代、風待ち潮待ち港として栄え、重要伝統的建造物保存地区として国から選定されている大崎下島の「御手洗地区」にも立ち寄ることが出来ます。

「呉阪急ホテル」は、ビジネスにもこの様な観光の拠点としても、安心快適にご利用して頂けると思っておりますし、そのために様々な施策やプロモーションを実施しています。お気軽に立ち寄って頂ければと思っています。

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